ともよし(@tomo141)です。
新しい年がはじまった。
目標なんて、たてなくていい。
目標なんて、達成しなくていい。
ただただ妄想して、ワクワクしてればいい。
去年の目標には、とどかなかった。
数字にして20%。
それはさすがに怠けすぎ。目標高すぎだろう。
そう言われるかもしれない。
たぶん、目標を達成するのが苦手なんだろう。
たぶん、目標を立てるのが苦手なんだろう。
ぼくの一大プロジェクト。
名古屋大学に合格すること。
こいつは見事に達成した。
目標達成が得意なんだろうか?
いや、そうではない。
ぼくが高校生の頃、毎日目標を立てていた。
ここからここまで。何ページ。何個覚える。たくさん立てた。
でもそのほとんどは未達成のまま。
でも、目標が達成できないという事実に、そういえば引け目を感じたりはしていなかった。
ぼくは毎日妄想していた。
名大生になったら家庭教師するんだ。
名大生になったらすごいブログ作ってやるんだ。
名大生になったら明るく元気なもてもてお兄さんになるんだ。
名大生になって、お金持ちになるんだ。
そのときどんな妄想をしていたかなんてどうでもいい。
だけどこれだけは言える。
ワクワクしていた。
妄想して、ワクワクしていた。
高校3年間を受験勉強にささげた。
普通の人ならそんなに時間が必要じゃなかったかもしれない。
非効率だったかもしれない。
だけどぼくは、3年間のほとんどを捧げた。
つらいときもあったけど、なんだかんだ、楽しんでいた。
ワクワクしながら、生きていた。
こういうのを、テニスの王子様では、天衣無縫の極みと言うらしい。
原作を見てないから解釈が間違ってるかもしれないけど。
楽しくてしょうがない。
この気持ちが人を強くするのだ。
年が明けたら、目標を立てる人がたくさんいるけれど、
ぼくは今年はやめてみよう。
ただただ妄想して、ワクワクしていようと思う。
最後に、ニコニコ大百科さんの、天衣無縫の極みの解説を引用しておこう。
“テニス”をあなたが大好きなことに置き換えて、読んでみて欲しい。
しかし南次郎によれば、「天衣無縫の極み」などというものは存在せず、強いて言うならテニスを始めたばかりの『テニスが楽しくてしょうがない』時期は誰もが天衣無縫なのだという。
天衣無縫とは真に純粋にテニスを楽しむ心の状態を指し、殆どのプレイヤーが勝つことに囚われてそれを忘れてしまう。天衣無縫の極みに至ったものはいずれも元より他を圧倒する実力者たちであり、未知の力に目覚めたのではなく、土壇場で最高のパフォーマンスを発揮した結果という解釈が成り立つ。
幸村のテニスがもたらす「テニスをするのも嫌な気持ち」とは対極の状態であり、劇中では完全なカウンターとして機能した。幸村は扉を開いたリョーマにも追い縋っていたが、勝利に囚われた幸村と純粋にテニスを楽しむリョーマという対比が明確にされていた。ぶっ飛んだ必殺技が数多く登場する本作だが、ラスボスに勝利する決め手は「純粋にテニスを楽しむ気持ち」であった。
天衣無縫の極みとは (テンイムホウノキワミとは) [単語記事] - ニコニコ大百科(http://dic.nicovideo.jp/a/天衣無縫の極み)より
追記。
天衣無縫というのは、“文章や詩歌がわざとらしくなく、自然に作られていて巧みなこと。(新明解四字熟語辞典)”という意味らしい。
そういえばこの文章スタイル。
久しぶりに使った。
語りかけない、独り言スタイル。
ぼくにはこういうのが、あってるのかもしれない。