「大学院のストレス。研究者のワークライフバランスと働き方について考えてみた|僕らの研究スタイル」という記事が話題になっていたので、ぼくも研究との向き合い方について記事を書いてみたいと思います。
こちらの記事では2つの研究との向き合い方が挙げられています。
- 研究の成功=人生の成功
- 研究=人生を楽しむためのツール
みなさんにとって研究はどちらに近いでしょうか。
その辺を考えながら読んでいってもらうと良いかと思います。
あんた誰?
さてぼくは、博士課程にいて、半年くらい後に学位がとれると見込んでいる者です。
今年のどこかで化学系の企業で研究職に就く予定。
専門は有機化学(天然物合成)で、分野で言えば忙し目の研究室が多い方なのかなと思います。
有機化学系の研究者は冒頭のどちらだろうか?
勝手なイメージですが、有機化学の世界で著名である先生方はというと、“研究の成功=人生の成功”としている人が多いようなイメージを僕は持っています。
“研究の成功=人生の成功”と言えばなんだか聞こえがいい気もしますが、悪く言えば家族や自分のことを犠牲にしている。
若い頃は夜中まで実験し、徹夜をすることも。休日実験も当たり前。数をこなすことで道を拓く。
上に立てば学生の労働力を最大限に引き出し、ボロ雑巾のように扱う。そんな感じでやってきたんじゃないかと。
こんな噂も聞こえてきます。
ここで挙げたような研究者は極端な例かとは思いますが、有機化学の世界には小さな闇があるような感触があります。
有機化学は、時間をかければ結果が出る。数をこなせば結果が出る。出るというか、出てしまう。
そういう有機化学の性質に頼り切って、労働力でなんとかしてしまう。それ故に、有機化学の世界では特に、家族や自分のことを犠牲にして研究に力を注いでしまっている研究者が多いんじゃないかと思っています。
そういうやり方で研究に成功したとしても、それは人生の成功とは思えない。
そんな有機化学の世界に飛び込んでしまったぼくです。
研究を成功させた裏に、関係の薄くなった家族やボロボロになった雑巾学生がいるというのなら、研究の成功は要らないなと思いました。
研究で成功はしたいけど、家族や友人、一緒にやっていく仲間たちを犠牲にはしたくない。
研究で成功はしたいけど、上で述べたようなやり方で研究に成功したとしても、それは人生の成功とは思えない。
そう、修士くらいのころに結論づけたような気がします。
研究者として活躍したい気持ちもありますが、起きている時間の8割9割を使う必要があるのなら、研究者としての活躍、研究の成功は要らないなと。
少なくとも、家族や自分のことを犠牲にしないでかつ研究で勝てる戦略が思いつくまでは、研究は人生を楽しむためのツール程度に考えておきたいと思いました。
というか、研究は人生を楽しむためのツールなのであって、その中に研究の大成功は必須ではないと考えています。
じゃああんたはどうするのか?
「じゃあ家族や仲間を犠牲にせず、研究で成功すればいい」そういう声も聞こえてきそうです。
そうですね。
ただぼくは、上手くいく戦略も思いついていない状態で研究の成功に挑戦する勇気もないです、というかそんなバカではないつもりです。
研究で成功するなら賢くやりたいですね。
それにぼくは、手を動かして実験する役割でいたいタイプでもないですし、必ずしもPIとして独立した研究室を動かしていたいわけでもありません。
研究者の王道?を通って、若手のうちから結果を出し続け、ラボを持って引っ張っていく。そういう道じゃなくていい。
研究者の卵を育ててそいつが研究で成功してくれれば、それは僕の成功だし、
研究者が研究しやすい環境を作ってそれでみんなが成功すれば、それは僕の成功だし、
ぼくのメディアのライターさんたちが研究で成功すれば、それは僕の成功だし、
(そのメディア:理系とーく)
ぼくのコミュニティにいる200人弱の仲間たちが研究で成功すれば、それはぼくの成功だ。
(そのコミュニティ:理系とーくラボ)
ぼくは研究者として最前線で活躍していき、有名な人になるんだと思っていた。
けど高校生の頃にやった職業の適性診断で“ピアノの楽譜をめくる人”と出た。
「?」だった。
だけど最近ではその意味が分かってきたような気がしていて。メディアによってライターさんたちを輝かせるのが楽譜をめくる仕事だし、コミュニティ作ってメンバーを成功に導くのも楽譜をめくることだと気づいてきた。
だからぼくはぼくのやり方で、やっていきたいと思う。
「研究の成功=人生の成功」が勝ち取れると信じながら。
結局のところぼくにとっても、「研究の成功=人生の成功」なんだろう。