ともよしブログ|理系を楽しむ

大学院生、理系博士ブロガーのともよしです(博士課程なう)。有機化学やってます。笑いは大事にしています。

母「◯も△も立派な大人になったよね。満足です」ぼく「なみだ」。→子育てで「満足」という感想が出るのは、すごいことですよね

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今朝起きたら、母からLINEが来てたんです。

「いま、ブログ読んでます」って。

当然読んでって言ったわけではない。だから素直に「ありがとう」だった。

続けて、「私には(ブログの内容が)難しすぎて、分からないけど」って前置きした上で、

「◯も△も(ぼくら兄弟ふたり)、立派な大人になったよね。満足です」

って来たんです。

「……。」



“満足です”


どう思いますか? この言葉。

親子うまくいってない関係って、よく聞くじゃないですか。「息子がちゃんと勉強してくれない」とか「娘が頼りない男連れてきた」とか、全国どこでもありそうな話じゃないですか。

そういう世間、でのこの言葉ですよ。



“満足です”


将来、「満足です」と言えるのか

果たして自分が子育てしてから、こどもが20,30になったときに心から「満足です」って言えるのか…


想像してみたんです。

想像してみてください。

あなたには息子がいます。

じぶんの息子を26まで育てて、息子のブログを読んで、息子の現在を思い、素直に出てきた言葉が“満足です”。


自分のこどものことを考えて、“満足です”って言える状況。その言葉に至るまでの感情を想像すると、そして、これまで過ごしてきたいろいろを考えると、気付けばぼくはティッシュを2枚、引っ張っていました。


母のハードル

母はいつも、どちらかというと後ろ向きに考えることが多かったかなと思います。

“元気に育ってくれればいい”

よくテレビやドラマや小説やらで、我が子に願うこととして、こんな言葉を聞いたことがあります。しかし、母としては、願う以前、

「アホな子が産まれてしまうんじゃないか」

そう考えたこともあったそうです。


結果的には、その低すぎるハードルが功を奏したのか、ぼくたち兄弟は、そのハードルを難なく越えていけたんだと思います。

今ではよくわからない絵でしたが、どんな絵を見せても「うまいなー!」って言ってくれます。

テストで高得点をとったら、「すごいなー!」って言ってくれます。

こんな風に言う親の中には、演技で褒めてる親たちも一定数いるでしょう。

でも、母はおそらく、なんの演技もなく(たまにはあったかもしれないけど)、ぼくたちを本心から褒めてくれました。(少なくとも、ぼくには演技なんじゃないか、みたいな感情は感じさせませんでした。)


ぼくら兄弟のスペックを見ると、一般的に見て、その子育ては“成功”という部類に、どちらかと言えば入るんでしょう(その理由は言及しませんが)。

いや、大したスペックではありません。

東大京大、医者や弁護士になったわけではありません。

ぼくらみたいなスペック程度では、“満足”できる親も、多少なりともいるでしょう。

まあでもこの話は、この記事では大事ではありません。


何がよかったのか?

自分のこどもを見て、“満足です”と言えるには、子育ての技量、環境、余裕(お金の余裕、心の余裕)、期待、運、さまざまな要因がいい感じに重ならないといけないのかもしれません。

お子さんがいる人、

あなたは、自分のこどもを見て、こどもに“満足です”というLINEを送ることができますか?

こどもがいない人、

将来、自分のこどもに対して、“満足です”って、言えそうですか?


ぼくですか?

ぼくは、親には育て“られ”ていました。でも、育てられると同時に、こどもの育て方、こどもと生きていく上で大切なこと、…そんなことも自然と、少しずつ悟りながら、成長してきているような気がします。

そう、親に育てられて、親を見て、なんだかわかるような気がするのです。どういうスタンスでこどもと接するのがいいのか……。

ぼくは、自分のこどもに対して、“満足です”って言えるような気がします。



ぼくが、こうして人生を上手く生きていること、まあまあのスペック(謙遜)でいられているのは、環境や運、そしてぼくの努力も大きく貢献しているでしょう。

しかしそれ以上に、親のスタンスが一番大きかったのかなって、思いますね(相性もあるでしょうが)。

母「この思い一生忘れません。あ、り、が、と、う。」

ぼくは、親の低いハードルを難なく越えて、親に褒めてもらうのが嬉しくて、うへへってなってちょちょいと行動していただけです。


親が“満足です”って言えるまで、ぼくが大きなことをしたのかは分かりませんが、ぼくは母、父、家族のみんな、この家族に育てられたから、ここまで来れたのだと思っています。


「ありがとう」って言ってもらえた。

“ありがとう”って言ってもらえた事実にふさわしいほど、ぼくはちゃんとできてたのかな?


疑問と謙遜と、そして“ちゃんとできたるんだな”という自信も湧きつつ、家族、父、そして母に、この言葉を贈ります。


こちらこそありがとう。お母さんのおかげです。