こんにちは。大学院生ブロガーのともよし(@tomo141)です。
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就職してからも、企業で研究者として生きていきたいなら、会社に入る前に博士号を取っておくべきだ。
要約
- 博士号がなくても活躍できる、日本がまだ「鎖国」しているのならね
- グローバルの波は押し寄せる
- 博士号がないと、"researcher"として認められない
- 博士号を取得した人のみが持てる「自信」・「自己肯定感」
- 苦難の壁を乗り越えてきた「博士号取得者」に対する信頼
- 就職してからも研究者として生きていきたいなら、入社前に博士号を取っておくべき
博士号がなくても活躍できる、日本がまだ「鎖国」しているのならね
日本で研究職をやるとする。
そして博士課程の3年間と、企業での3年間で、ほぼ同じ成長をするとする。
その先研究職をやる上で活躍できるか?昇進できるか?という点に着目しても、修士vs博士で、段違いに差がつくことはないと思う。
ただそれは、全世界の国が鎖国をしていると考えた場合だけだ。
日本は鎖国を終えている。世界は日に日にグローバル化している。
日本にいるから「日本にいれば大丈夫」では大丈夫ではない時代になってきているのだ。
グローバルの波は押し寄せる
今、全世界にグローバルの波が押し寄せている。
格安航空券が登場し、移動技術は年々進歩しており、海外渡航費は、年々安くなっていく。
インターネット・通信技術の発展によって、外国との壁はいろんな意味で低くなっている。
隣の国は、どんどん近くなり、国境あれども人・物・情報がそれをどんどん越えて行っている。
日本の会社の社長が外国人、という時代
日本のトップ企業の社長に、外国人の名前が連なるようになってきた。
日産のカルロス・ゴーン社長。
日本の医療用医薬品売上高1位の武田薬品工業の社長も外国人クリストフ・ウェバーが務めている。
比較的閉鎖的な国な印象だった日本にも、外国人社長が入ってきており、外国人の採用も増えている。
留学生も増えている、というか増やしている
ある程度グローバル化に力を入れている大学に所属している(いた)人なら分かると思う。
大学は明らかに、留学生を増やすことに力を入れている。
英語のみで学位が取れるコースを作ったり、留学生対象の支援制度を整えたり。
大学がこれだけグローバル化に力を入れているってくらい、国がグローバル化に力を入れているということだと思う。
国がグローバル化を推し進めれば、企業もその波に乗る。
グローバル化の戦略がないと戦えない時代
というか「国がそうしているから」という理由なんて小さいだろう。
これから世界は、グローバルの時代になる。
日本だけでやっていては、世界の企業に淘汰されていく。世界で戦える会社にして、世界でトップに立つ勢いでいないと、これからの企業はすぐに倒れて行ってしまう。
博士号がないと、"researcher"として認められない
そして、世界の研究者のスタンダードは博士だ。
修士はresearcherとは認めてくれない。修士はただの、技術者、というのがグローバルスタンダードだ。
これまでは、日本の企業で研究職をするのには修士でも活躍できていたかもしれない。
でも、グローバル化の波が押し寄せるこれからの時代は、博士号を持っていない研究者(研究者として認められないのだが)は、太刀打ちできなくなってくる。
実際、いつか企業の人から聞いた話で、「去年うちの研究所に入った新入社員は、全員(10人位だった気がする)博士だったと言っていた。
これまでになかった製品を開発し、世界で利益を出す商品を生み出すためには、高度な研究技術を必要とする真の研究が欠かせない。
ハイレベルな研究が必要とされる時代。修士が活躍できなくなる時代は、もうすぐそこだろう。
博士号を取得した人のみが持てる「自信」・「自己肯定感」
話は変わって、博士号という名の試練の山は、修士の学生が思っている以上にはるかに高いものだ。
ぼくも、博士課程の茨の道具合は、進学以前に想像していたものとは桁違いだと感じた。
茨の生い茂る道を半袖半ズボンで突き進むような、痛みや不安を感じながら進む日々。
なかなか辛いものがある。
参考
大学辞めたい?つらい研究室を前向きに乗り越えねば… - ともよしブログ
【研究やりたくない】博士課程に進学した理由と、苦難を乗り越える原動力 - ともよしブログ
上司からのプレッシャーじゃない。研究室がつらい本当の原因を考察してみた - ともよしブログ
まだ博士号を取得したわけではないけど、このドM生活を切り抜けた後に感じる達成感、自信、自己肯定感は、人生のどのイベントで得られるそれよりも段違いに大きなものだと思う。
(D2の今でもこれだけ感じられているからなぁ。うん。)
自分なら、どんなテーマを与えられても、その分野を切り開いて世界をリードしていけるんじゃないか。
そう思えるくらい、自信がつくのだ。
自信というのは、研究において主に2つの場面で効いてくる。
1つは研究をスタートする前、企画をするとき。
資源や人材、種々の状況に合わせて的確な挑戦度の企画を作ることができる。
企業の研究では、実現可能性や採算などを踏まえた上で、多額の資金を投入することになる。
失敗すれば大損害。そういう状況でGOサインを出す自信。ここで大きな差が出る。
2つ目は、研究がうまくいかない時。
失敗続きでいつうまくいくかもわからない。そして様々な方面からプレッシャーを受けるという状況。
このつらい状況で、そのまま突っ切るのか、それとも見切りをつけてさっさと次のテーマをやるか。研究者にはこのような、継続の可不可が問われる判断を迫られる。
重い責任を負いながら、こういう厳しい状況で判断を下せるくらい大きな、研究に対する自信が研究者には必要不可欠だ。
苦難の壁を乗り越えてきた「博士号取得者」に対する信頼
そして最後に、上で述べてきた試練を乗り越えた「博士」という人材に対する信頼感について。
もし、新規プロジェクトのプロジェクトリーダーを任命する立場にいたとして、修士卒で社会人8年目の人と、博士卒で社会人5年目の人(つまり二人は同い年)がいたら、どちらにプロジェクトリーダーを任せたいか?
自分なら、博士号取得者の方を選ぶ。
もちろん、社会での経験は、修士の人のほうが上かもしれない。
でもやっぱり、これまでに散々述べてきた通り、博士は相当大きな経験をしているし、相当苦しんでもがき苦しんで生きてきている。
博士を経験した自分なら、博士経験者を選ぶ。
そして自分以外の人も同じだろう。博士経験者なら後輩博士に対して、「あの経験をしてきたなら大丈夫だろう」という安心・信頼感を持つのは自然なことだろう。
就職してからも研究者として生きていきたいなら、入社前に博士号を取っておくべき
就職してからも、「研究」と名のつく仕事がしたいと思っている人、
それなら、大学院の課程で博士号をとるべきだ。
非博士号取得者の研究者(=単なる技術者扱い)は、これからどんどん淘汰されていく。
博士号をとって、世界をリードする真の「研究者」に、なろうじゃないか。
ぼくはそうなるよ。
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