ともよし(@tomo141)です。
ネット上に、本当の友達はいるだろうか?
自分にといかけてみた。
友達と言えば、
自分を変に飾らなくていい。
気楽になんでも言える。
遠慮せずに誘える。
こんな感じのイメージを持っている。
ブログを始めた頃は、ネット上に、上の“友達”と重なるような人はいなかった。
けど最近では、
「あれこれもしかして、本当に友達なんじゃないか?」
そう思えるような人も増えてきた。
“本当に”という言葉をつかった。
基本的にぼくはポジティブっぽい人格でふるまっていることがおおい。
こういう生き方も結構好きだ。
けどその裏には、ネガティブなところもある。
ぼくの裏の、自信がない自分。
こういうところがやっぱりベースにある。
「友達なんじゃない?これ」と思っても、どこかで疑ってしまう。自信が持てないのだ。
「友達かも?」そう思っても、わりと確かな証拠があらわれるまで、慎重に確認作業を続けてしまう。これがぼくなのだ。
そういう、やはりいつも通り現れる確認作業中だからなんだろう、“本当に”という言葉をつかった理由は。
さて、本当の友達が、ネット上に現れた気がする。
だから、せっかくなので、本当の友達(になりそうな人)ができてきた要因を分析してみよう。
上でも述べたとおり、ぼくのベースには、自信がない自分がいる。
自分にも自信がないから、やっぱり、どこか着飾って生きているところがある。
そんな中、今となってもなぜそうなれたのか不思議ではあるけど、「着飾らずに自分をさらけてしまえ」と思えたときがあった。
「ええいどうにでもなれ」
こういう気持ちが、素の自分を、“バラマキ政策”してくれた。
“ばらまいた素の自分”達は、何人かの、友達候補を見つけてきてくれた。
その時出会った人。その時関わった人なのだろう。
なぜか、なんでも言えそうな気がする人、気軽に話せる人、そういう人が、今いる。
“なぜか”なんて言ったけど、理由は明白で。
やっぱり、素の自分を出すことが効いたんだと思う。
やれフォロワー数、やれブログの評価…
そんなものを気にして、着飾った自分を演じているのも、仕方のないことなんだろうな。
いい人を演じるのは、もう終わりにしよう。終わりにしたい。
少しずつ、脱いでいこう。
着飾った自分を運営していても、裸になったら、そんなものは脱衣カゴの中なのだから。