ともよしブログ

大学院生、理系博士ブロガーのともよしです(博士課程なう)。有機合成化学やってます。おもろいことが好き。

「勉強しか取り柄がない=研究に向かない」学生を「使える人間」に育てる責任は、大学にあるのか?

どうも、大学院生博士ブロガーのともよし(@tomo141)です。

“勉強しか取り柄がない”、こういう人は、出てきて仕方ない。

“勉強しか取り柄がない”学生を、“使える人間”に育てる責任は、どこにあるのか?

 
 

「勉強しか取り柄がない」高校生は、難関大学に集まってくる

  • 人とコミュニケーションをとることが苦手
  • スポーツや芸術の世界でも得意なことがない
  • かといって趣味もない

こういう人でかつ、勉強がたいして苦ではない、という中学生、高校生がいたら、そのハテは“勉強しか取り柄がない”だ

成績がよければ、家族や社会にわるく言われることもあまりない。

人と話せなくても、スポーツなどの取り柄がなくても、勉強ができればその子自身も「まあいいのかな」なんて思ってしまう。

成績が良ければ、難関大学に行くだろう。


こうして、難関大学には、“勉強しか取り柄がない”学生が集ってくる

勉強ができても、研究者としては「使えない」人間

「勉強ができれば、研究もうまくいく」

そう思う方もいるかもしれないけど、全くそんなことはない。


もちろん、勉強ができて研究ができる人はたくさんいる。

勉強ができて、人とコミュニケーションができて、仲間と協力し合うことができる。こういう人間は、研究もうまくこなすことができる。

でも、勉強ができるだけの人は、むしろ頭が硬すぎたり、柔軟性がなさすぎたりで、むしろ不利になることが多い。


答えが決まっている受験勉強に慣れた頭には、新しいことを発見し、新しい創造する能力はない。

予想通りに進まなければそこで思考停止。うまくいかない連続である研究をやっていると、心が折れる。病む


解決は、簡単ではない。

どうすればいいのか、わからない。

「勉強しか取り柄がない」学生を「使える人間」に育てる責任は、大学にあるのか?

大学は、教育機関。


勉強しか取り柄がない。

こういう子は、難関大学に集まる。


そりゃあ大学が、“勉強しか取り柄がない学生”を“使える学生”に育てられたら効率がいいだろう。

ただ、使える学生へと育て上げる責任は、大学だけにあるわけじゃない。

親にも責任はある。社会にも責任はある。ぼくにもあるだろう。そして、あなたにも。
(他人のせいにしてばっかりの人はよくない)

あなただって、なにか手助けができるかもしれない


 

ぼくらも、助けることができるはずである。


ぼくは、難関大学に入って、“使えない人間”を見てきた身として、なにかできることがあるんじゃないかと思う。

解決策を模索しながら、研究を続けていってみたい。


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